海軍大尉で、明治末期に沈没した初の国産潜水艦艦長だった人です。
潜水艦とともに、佐久間艦長と部下14名は殉死しました。
当時佐久間艇長の死は世界に衝撃を与えました。
その理由は、ほぼすべての潜水艦の事故現場は艦員が取り乱し、地獄絵そのものだったそうです。
恐怖の世界であることは想像できます。
ところが佐久間艇は違いました。
佐久間艇が引き上げられてハッチを開けると、乗組員全員が各持ち場についたまま死を迎えていたのです。
さらに、佐久間艇長が残り少ない酸素の中で書いた遺書が残されていました。
遺書の内容は、この事故が将来の潜水艦開発のブレーキにならないように、また部下の家族が経済的に困窮しないようにしてほしいというものでした。
極限の状態で、最後まで冷静沈着に行動し、義を貫いた日本人がここにもいたのです。
忘れ去られたくない話です。