私の仲間は、ほとんどが中小企業のオーナー社長です。
この仲間たちの人生は波乱万丈で、毎日奮闘しています。
A社長は、せっかくヒット間違いなしという製品を開発しながら、その製品開発のために雇った社員から悪意をもった裏切りにあい、プロジェクトが頓挫。
最近Aさんに会ったときに、エネルギー満ちあふれていたAさんの着ていたジャケットが、ダブダブになっていました。
「鬱病になっちゃいそうだね。でも我々は鬱病になることも許されないんだよね。。。」という会話をしながら、私も心で涙しました。
でもAさんは立ち直ります。以前も大きなピンチを切り抜けてきた人だから。
次はBさん。先日送別会に行ったBさんは、自分の会社をたたんで家族を引き連れ米国に移住します。
一度はビザがおりずに渡米をあきらめたかに見えたBさん、初心貫徹です。
でも、米国で決まっているのは着いたときに泊まるホテルだけ。家もなければ車もなければ、仕事の目処もたっていないとのこと。子連れなのに。。。
もうこうなると信念の問題で、私はただただ、幸せになってね、と祈るばかり。
次はCさん。Cさんは、突然外資系の社長を解任され、その後紆余曲折がありマイナスからの出発なのに今ではもうかる会社の社長さん。
今でも、ちょっと会わないと、Cさんは病気で入院して、あっという間に退院して、徹夜をして、海外出張をしてを繰り返している様子です。
こういう状態でも、Cさんの人に対する気遣いと思いやりは半端ではなく、私は何度も助けてもらいました。
どんなことがあっても人のせいにせず、とことんあきらめない仲間自慢でした。
2011年7月29日金曜日
2011年7月22日金曜日
なぎさホテル
伊集院静の『なぎさホテル』という本が、紙媒体と電子書籍の両方で出版されました。
「なぎさホテル」というなつかしい名前に飛びついて本を買ってしまった後で、電子書籍があることが判明。
電子書籍なら、井上陽水の主題歌や、なつかしい写真が見られたのに。
逗子海岸にあった「なぎさホテル」は大正時代に建てられた洋館のホテルで、平成元年に閉鎖され取り壊されているので、知らない人も多いことでしょう。
昔、家族がよく会社の研修でこのホテルを使っていて、とてもいいホテルだと話していたのがつい昨日のようです。
私がこのホテルに宿泊したのは1980年代中頃、木造のホテルはすでにガタピシとしていましたが、居心地のいい場所でした。
神戸にある母方の祖父の家と同じ、なつかしいにおいがしたことをおぼえています。
「なぎさホテル」の名前からは、遠い昔の湘南の景色が浮かび、穏やかな時の流れを感じてほっとします。
2011年7月15日金曜日
後遺症
風邪の後遺症(?)で中耳炎と声帯の炎症を併発。
元気なのに耳が聞こえず、声はガラガラ。
中耳炎になったことなどなかったので、お医者さんが鼓膜にさわったとたんに飛び上がり、看護婦さんに頭をしっかりと押えられてしまった。
内視鏡で声帯の写真まで撮られた。
生まれて初めて自分の声帯の写真をもらったけど、始末に困って捨ててしまいました。もらって嬉しい人っているのでしょうか?
耳の治療は無事終了、声帯に関しては数日間話すな、との指示。
さすがにカラオケの予定はキャンセル、でも毎日かなりしゃべってる。
話さなければ仕事ができない。
話さなければ仕事ができない。
もしかしたら、今後の人生はこのガラガラ声と一緒に歩んでいくことになるのでしょうか。。。
2011年7月8日金曜日
風邪
ついに風邪にかかってしまいました(泣)
ここ数年、どんなにインフルエンザがはやろうと、感染はしていても発症はしていないと大きな顔をしていたのに、ついにダウン。
今回風邪にかかった理由は、はっきりしています。
ここ数ヶ月ある問題に心がとらわれていたのです。
解決策が見つからず気持が折れたときに、あ~あ、ちょっと休みたいな~、と思ってしまったのです。
こういう状態がしばらく続き、免疫力が落ち、のどをやられました。
会社の近所の病院に行ったのですが、自信のなさそうな若い先生が書いた処方箋を見ると、感染症をおさえる薬が入っていないのです。
そこで、薬局に行くのをやめて、再度行きつけの病院に行き、きちんとした薬を無事入手。
そこで、薬局に行くのをやめて、再度行きつけの病院に行き、きちんとした薬を無事入手。
自分の身は自分で守らなくては。
嬉しかったことは、心やさしい仲間から「身体が休めとサインを送っているのですから、心静かに安らかに、ビールを飲んでいるがごとく布団の中で休養ください」というお見舞いメールが来たことです。
やさしい言葉につられて、熱があるのにビールを飲んだら、にがかった。
登録:
投稿 (Atom)